『神の独り子』
(ハイデルベルク信仰問答講解説教13)
主たる聖書テキスト: ヘブライ人への手紙 1章1〜14節
前回学んだように、今やキリスト者一人一人が、メシヤの使命を
担う者です。しかし、それは私たちにとっては重荷です。主の使徒
パウロにとっても重荷だったに違いありません。使徒パウロはどう
やってその重荷に耐えることができたのでしょうか。迫害する者が
宣教する者へ、迫害される者へという使徒言行録の物語は感動的で
すらあります。しかし、回心によってパウロはイエスをどのように
見るようになったのか、パウロのイエスに対する信仰はどのような
ものだったのかは、使徒言行録では明確でありません。しかし、こ
れは書簡によって補えます。「時が満ちるに及んで、神は御子を女
から生まれさせ、律法の下に生まれさせて、お遣わしになった。そ
れは律法の下にある者たちをあがない出すために、わたしたちに子
たる身分をお授けになるためであった。」(ガラテヤ4:4)あの十字架
に架けられたイエスは、失敗した偽メシヤなどではありません。ま
ことのメシヤ、いやメシヤ以上の者、神の独り子(御子)でした。そ
のことにパウロは目を開かれたのであり、また、そのことを信ずる
信仰が彼を支えました。このお方の第三の名は「神の独り子」です。
この名の持つ壮大な恵みについて学びましょう。
さて、イエスは十字架上で死なれ、このお方によって救いがもた
らされましたが、このお方が神であるのか、人であるのか、キリス
ト教会でも大いに議論のあるところでした。異端とされたアリウス
以来、「人」と考える考えは根強くあります。その考えによれば、
イエスはあくまでも人です。しかし受洗のとき、「わたしの愛する
子」(マルコ1:11、平行記事)との天からの声を受け、「神の子」に
任命されたというのです。そして、任命された神の子として十字架
という重大な責務を果たしたというわけです。そういえば、旧約聖
書にも「神の子」はたくさんおりました。王(サムエル記下7:14以下)、
イスラエル民族全体(ホセア書11:1など)、そして本日の使徒書へブ
ライ1章では、天使たちが「神の子」と呼ばれていたことがよくわか
ります。これらの人々はあくまでも被造物ですが、「わが子」とし
て神に召され、その使命を全うすることを期待された、イエスも同
じというわけです。が、聖書の教えがここまででしたら、それは人
間の常識の範囲内です。
しかしながら、実際のイエスの十字架はどうだったでしょうか。
神の子として召された人がなした業以上のもの、救いの出来事の一
部ではなく、救いの出来事そのものでした。それは、百人隊長をし
て「本当に、この人は神の子だった。」(マルコ15:39平行)と信仰告
白せしめるものでした。それゆえ、イエスは神の子として召され、
神の業をなしたけれども、不十分なままで終わってしまった人の一
人ではもはやありません。み業を完成させたがゆえに、「本当に神
の子」「本当の神の子」です。「本当の神の子」とは、結局は出自
が人である中途半端な神の子ではなく、神から出た神の子です。も
ともと神と共におられた方が来られたのです。ヨハネ1章、ヘブライ
人への手紙1章が証言しているとおりです。十字架で、「神の子」とい
う言葉も変わりました。神に指名された人を指す言葉としてだけで
なく、神から出た子、イエスを指す言葉となりました。
それゆえ、イエスは他のもろもろの神の子とは違って、神から出
られたたった一人の「神の子」、神の「独り子」でいらっしゃいま
す。「独り子」であられるということは、アブラハムとイサクがそう
であったように、父なる神との間にこれっぽっちの隙間もないとい
うことです。御子のなしたもうこと、愛の業はすべて、そのまま神
のみ心です。その神が、独り子イエスをこの世に遣わし、しかも十
字架の死を死なせ、イエスを見放しまでしました。(マルコ15:14
平行)何とも痛ましいことです。なぜそこまでなさったのでしょうか。
それが何と他ならぬ私のためだったのです。私の罪の償いをなし、
私の罪の罰を負うために、贖いのためにそこまでしてくださったの
です。そのことを知ったときに、私でさえ心が打ち震えました。こ
こまで愛されているのだとしたら、どんなときにも、どんなところ
でも、たとえ裏切られても生きていくことができます。
パウロも、いやパウロはイエスを迫害してきただけに、もっと心
が打ち震えたことと思います。それで、どんな艱難の中でも、生き
ていけたのです。「御自身の御子をさえ、惜しまないで私たちすべ
ての者のために死に渡されたかたが、どうして御子のみならず、万
物を賜らないことがあろうか。」(ローマ8:36)イエスが「子なる神」
であられることは、神の私たちに対する無限の愛のしるしです。
(2007/08/26 三宅宣幸牧師)
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