『キリストと私』
(ハイデルベルク信仰問答講解説教12)
主たる聖書テキスト: コリントの信徒への手紙一 12章12〜31節
過ぐる週より、私たちは使徒信条の第二項の学びに入りました。
最初に私たちは、「子なる神」であられる主イエス・キリストのお
名前について学びます。先週は、「子なる神」がイエスと名づけら
れたことについて学びました。しかし、このお方は「イエス」と呼
ばれただけではありませんでした。イエス・キリスト、すなわちイ
エスはキリストであるという信仰告白をもって呼ばれました。キリ
ストとは、ヘブライ語ではメシヤと言い、油注がれた者、神から特
別の職務に召された者に対する尊称でした。が、イエスの時代には、
たくさんの「自称メシヤ」が現れました。なぜでしょうか。それは、
イエスの時代、メシヤとは神によって王に任じられた者を指す名称
として用いられることが多かったからです。イエスの時代、ユダヤ
はローマの植民地としてその圧政に苦しんでいました。その苦しみ
の中で、ユダヤ人は、ローマから自分たちを解放して独立を勝ち取
ってくれる王を、神がメシヤとして遣わしてくれることを、心から
願っていました。それで、「我こそはメシヤなり」と名乗る革命家が
たくさん出て来たのです。
さて、そのイエスは十字架に架けられました。ある人は、イエス
は革命運動に失敗して十字架刑に処せられたのだ、と言います。ま
た、イエスの時代、十字架刑にかけられた人は、ローマに反逆して
失敗した自称メシヤばかりだったことも事実です。それでは、イエ
スも革命家だったのでしょうか。また、もし違うとするならば、そ
れらの自称メシヤの十字架とイエスの十字架とどこが違うのでしょ
うか。それは、それらの革命家メシヤの十字架が革命失敗のしるし
だったのに対して、イエスの十字架は勝利のしるしだったというこ
とです。このことだけで、イエスが革命家メシヤでなかったことは
明らかです。イエスの十字架は、被造物の罪の罰を一身に背負って
かかった十字架であり、それによって罪の贖いが成就した、勝利の
しるしでした。イエスの十字架によって十字架の意味がすっかり変
わりました。そればかりではありません。「メシヤ」の意味も新し
くなりました。ただ単に、王などの職務に召された者のことだけを
指すのではありません。神のみ業そのものを行う者を指す名、すな
わち「子なる神」を指す固有名詞となっていったのです。
さて、イエスがキリスト(メシヤ)と呼ばれるようになって、メシ
ヤが本来持っていた職務はどうなったのでしょうか。イエスの時代
まで、メシヤという名称は、大部分は王に、少しは預言者に、そし
てもっと少しは祭司の職務に召された者に用いられています。これ
らの人々は、王として、預言者として、祭司として、召しに応えよ
うと、与えられた職務を一生懸命に果たしてきました。しかし、イ
エスが「子なる神」なるメシヤとして来られたことにより、それら
の職務は必要なくなりました。すなわち、イエスは、十字架による
罪の贖いの成就によって、それまでのメシヤたちが果たしてきた預
言者、祭司、王の職務を全うしたがゆえに、もうこれから後、別の
預言者、別の祭司、別の王を立てる必要はなくなりました。それゆ
え、イエスは「最高の預言者」「唯一の大祭司」「永遠の王」たる
メシヤと呼ばれるのです。(問31)
しかし問題は、イエスがキリストとしてメシヤの業を完成された
とはいえ、悪の力はまだ滅びさってはいない、ということです。い
や、むしろ明らかにさえなっています。まだ、メシヤとしての職務
は必要です。そこでキリストはどうされたかというと、本日の使徒
書テキストTコリント12章にあるように、その救いに与る者に洗礼
を授け、聖霊を授けて、キリストの体である教会の枝とし、そして
なおかつ、教会に悪と戦う使命をお与えになったのです。教会は何
よりも礼拝する者の集まりです。それゆえ、礼拝を守ることによっ
てキリストによって与えられた贖いの恵みに与る者との意味で、教
会に連なる者はキリスト者(クリスチャン)と呼ばれます。しかし、
それだけでは十分ではありません。この世にある教会として、キリ
ストがメシヤとして完成してくださった業が、この世に行き届くよ
うに、つまり、キリストのメシヤとしての業を「下請けする」務め
が教会に連なる私たちに与えられています。私たちは、キリストの
メシヤとしての業にかかわらせていただくという意味でも、キリス
ト者(クリスチャン)なのです。
これは大変なことです。私たちはどうしてそのような大きな務め
を果たすことができましょうか。が、心配要りません。キリストが
先頭に立ち、すでに勝利は勝ち取っていてくださいます。私たちは、
「この方の御名を告白し、生きた感謝の献げ物として自らをこの方
に献げ」(問32)て励めばいいのです。
(2007/08/19 三宅宣幸牧師)
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