2007年08月05日

『神の摂理とは?
(ハイデルベルク信仰問答講解説教10)

主たる聖書テキスト: 使徒言行録 17章22〜31節


 使徒信条の第一項は、「我は天地の造り主、全能の父なる神を信
ず。」で、私たちはこの一言をとおして、神が、私たちの創造主に
して、父なる神であることを告白します。しかし、異邦人である私
たちのみならず、イスラエルも、契約違反のゆえに、神を創造主と
お呼びするところから遠いところにいました。この閉塞状況を救っ
たのは、「新しい契約」の約束です。(エレミヤ書31章、エゼキエル
書37章)「わたしは、悪をゆるし、再び彼らの罪に心を留めることは
ない。」(エレミヤ31:34)というものでした。この約束は主イエス・
キリストの十字架によって成就しました。すべての人が、神の契約
の相手として、神の保護の下に置かれることとなったのです。それ
ゆえ、私たちも「創造主なる神は知らない。」などと言うことは許
されません。既に、神の保護の下に置かれ、神を「父」と呼ぶこと
を許されていますから、悔い改めて、神のご命令に従って歩むよう
求められるのです。(使徒言行録17:30)

 さて、問27、28ではさらに進んで、摂理について学びます。神の
摂理の信仰は、そもそも神が全治全能であるとの信仰から始まりま
す。神は何でもおできになるがゆえに、世界と、そして人間もお造
りになることができたのです。神にできないことは何一つない。だ
としますと、神は世界を創造したばかりではなく、創造後の世界に
おいても、被造物を何らかの形でコントロールしておられるに違い
ないのです。私たちの体験することすべてが、良いことも悪いこと
も、すべて神の手による、これが摂理の信仰です。この摂理の信仰
は、一神教を奉じているすべての人が持っておられますが、私たち、
教会に連なる者も、創造主への信仰を告白するのであれば、それは
同時に、神の摂理も信じていることとなるのです。問27の問答で告
白されているとおりです。

 しかし、創造の信仰と違って、摂理の信仰を受け入れることは、
なかなか容易なことではありません。なぜならば、神の創造の業が
完全であられたのに、人間の罪のゆえに悪が蔓延した、そこまでは、
私たちも身につまされてわかるのですが、そこに止まらず、私たち
自身の罪とは関わりがあるとは思われない災難、困難が数多くあり、
私たち自身の悔い改めを超えた巨悪が跋扈(ばっこ)しているからで
す。災害について言えば、地震で被害を受けられた方々、神はなぜ
よりによってその方を被害に遭わせられたのか、答えはなかなかむ
つかしい。また、巨悪について言えば、戦争における大量無差別殺
戮によって命を落とされた方々、神がこの事件を起こされたのだと
したら、いや百歩譲って、神がこの悪を一時的にゆるされたとして
も、あまりにも無残です。こうして、善なる人々が災難、苦難に遭
い、悪が跋扈する世界を見ると、私たちは、問27の答えにあるよう
に、良いことばかりでなく、「ひでりや不作や、病や貧困も」神の
なしたもうこと、摂理であると受け取るよりは、不信仰に惹かれて
しまうのではないでしょうか。このような中で、私たちはどうして
摂理信仰を保ち得るのでしょうか。

 答えはただ一つ。神が三位一体の神、「父なる神」であられるこ
とに答えはあります。神は唯一の神でおわしますけれども、孤高の
神ではありません。み子イエス・キリストの父なる神であります。
子なるイエス・キリストを、子として愛しておられます。が、神は
その子なるイエス・キリストを、み業の成就のために、神としての
身分を奪い、人とならせ、しかも自分の罪ではない、人類の、とり
わけ悪人の罪を負って十字架にかからせるという、神を見失うよう
な状況に追いやったのです。しかしながら、イエス・キリストは徹
底的に従順であられました。その従順によって、神はイエス・キリ
ストを高く挙げ(フィリピ2:9)、そして、キリストの苦難ゆえにみ業
は成就したのです。苦難は、キリストご自身にとっては、神を見失
うばかりの出来事でしたが、それは、神の世に対しての、み子ご自
身への信頼と愛のしるしだったのです。

 私たち自身も、キリストの贖いによって、神を父とお呼びできる
者とされました。しかし、そのことは私たちが甘い汁を吸えること
を意味しません。イエス・キリストに倣って苦難を受けることとな
るのです。しかし、私たちは子とされていますから、ただの苦難で
はありません。忍耐しつづけた後、神の栄光を受けるという神の父
親らしい愛が待っています。こうして、私たちのような罪深い者に
も、神のみ業を摂理として受け止める摂理信仰への道が開かれてい
るのです。

 摂理信仰は、問28にあるように、私たちに、とりわけ苦難に克つ
力を与えます。私たちもその恵みに与ってまいりましょう。

(2007/08/05 三宅宣幸牧師)

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