2007年07月08日

『まことの信仰
(ハイデルベルク信仰問答講解説教7)

主たる聖書テキスト: ローマの信徒への手紙 11章13〜24節


 本日の問20は、「一人の人」から罪が始まって、それがすべての
人に蔓延して、そしてすべての人が有罪になったのだとすると、今
度は,一人の人の罪の贖いによってすべての人が自動的に救われるの
か、という問いです。私たちはそうあって欲しいと思うかもしれま
せんが、答えはNoです。信仰を持ち、恵みを受け入れる人だけが救
われるというのが、問20の答えです。なぜでしょうか。それは、救
いは人間が自分で勝ち取ったものではないからです。罪は人間が自
ら引き起こしたものです。ですから、一旦起こると、罪は同類であ
る人類のところへ次から次へと蔓延していきます。これに対し、救
いは、罪の贖いは、人間が自らの力でなしとげたものではありませ
ん。人間は、罪の罰と償いの前でお手上げだったのです。なのに、
神が、あちら側から、全くの恩恵によって与えてくださったのが、
罪の贖いであり、救いです。私たち人間は、自身の中に救いの種は
全く持っていませんから、救われるためには、罪の贖いの恵みを受
け取る、信仰が必要なのです。

 しかし、キリスト教の歴史を見ると,救いが自動的に与えられると
誤解し、悪の限りを尽くすことが、既にパウロの時代から起こって
いたことがわかります。が、パウロは神の裁きをはっきりと告げて
います。ローマ11:11以下から学びましょう。

 神の救済の歴史をみると、神は教会の歴史の始まりにあたり、ユ
ダヤ人を捨てて、異邦人を選ばれました。選びの民をも神は捨てら
れるのです。なぜでしょうか。それは、ユダヤ人は、祖先イスラエ
ルの時代から神に特別に愛されてきたにもかかわらず、律法をもつ
ことにより、自分の力で救われようとし、キリストを通して与えら
れた神の贖いの恵みを拒否し、神の恵みから洩れてしまったからで
あり、異邦人については、異邦人には律法がないがゆえに、かえっ
て神の恵みを素直に受け入れ、神にとらえられるものとなったから
なのです。とはいえ、神はユダヤ人の回心をあきらめられたかと言
うと、そうではありません。パウロはローマ11:11でそのようにはっ
きりと言っています。では、あきらめていないとすれば、なぜ異邦
人が選ばれたのでしょうか。それは、11節後半、「かえって、彼ら
の罪によって異邦人に救いがもたらされる結果となりましたが、そ
れは彼らに、ねたみを起こさせるためだったのです。」神はユダヤ
人の回心をあきらめていないのです。つまり、異邦人が救われるの
を見て、ユダヤ人が一念発起し、救いをもう一度求めなおし、神の
贖いの恵みを受け入れるようになるように、という神の深い御配慮
があるというのです。神は、すべての人が、神のキリストによる贖
いの恵みを受け入れるように待っておられるのです。もっても、そ
れは実現してはいませんが‥

 が、ということは、異邦人のクリスチャンも、神のキリストによ
る贖いの恵みをうけとることを忘れるならば、いつでも神から見捨
てられるということです。17節〜はそのことが記されています。ロ
ーマの信徒への手紙は、パウロの伝道生涯最後に書かれた手紙です
から、ここで異邦人クリスチャンの不信仰について書きながら、コ
リント教会の出来事が頭を過ぎったに違いありません。コリント教
会の異邦人クリスチャンはとんでもない誤解をしていました。神が
救いのために自分たちを選んだのだから、何をしても救われるとい
うわけです。それで、クリスチャンになる前からしていたことをそ
のまま、いや、ある場合にはもっと悪いことをし始めました。

 このような「愚かな」異邦人クリスチャンを神はどう処分される
でしょうか。ローマ11:17〜によれば、いとも簡単です。異邦人クリ
スチャンとは、神が最初に、いわば人類代表として選ばれたイスラ
エルという木に、イスラエルの子孫であるユダヤ人という枝が切り
取られた後、接木された野生のオリーブにすぎないのだから、接い
だ枝か「こんなはずではなかった」ならば、「離す」それだけです。
22節では「神の慈しみにとどまる」と表現していますが、神の贖い
の恵みを「受け取る」という人間の側の行為がなければ、救いは自
分のものとはなりません。

 問答は、この「受け取る」という行為を「信仰」という言葉で表
現しています。それゆえ問21の「まことの信仰とは何ですか。」と
いう問いは、神の恵みを受け取るとはどういうことかを問うていま
す。その答えは、まず第一に、神が人間のために罪の贖いの恵みを
下さったことを知ること、これがなければ信仰は始まりません。が、
そこに止まらず、私たちがその恵みを受け取ること、両者あいまっ
てまことの信仰となるのです。

(2007/07/08 三宅宣幸牧師)

※このページに関するご意見・ご質問は三宅牧師までお寄せ下さい。miyake@aksnet.ne.jp


(C)2001-2007 MIYAKE, Nobuyuki & Motosumiyoshi Church All rights reserved.