『主がお入用なのです』
(50年を迎えたCCA)
主たる聖書テキスト: ルカによる福音書 19章28〜36節
今年も皆様とご一緒にアジア祈祷日の礼拝を守ることができ、本
当にうれしく思います。この祈祷日を呼びかけている、アジアキリ
スト教協議会(通称CCA)は、今年で創立50年を迎えました。
CCAは現在、100の加盟教団、16カ国の加盟協議会(NCC)よ
り構成され、アジアの5,500万人のキリスト者に仕えています。
アジア祈祷日はペンテコステの1週間前の日曜日に定められていま
すが、これは現在のCCAの前身である東アジアキリスト教協議会
(以下EACC)が1959年5月24日、ペンテコステの1週間
前の日曜日に創立総会を開催したことに由来しています。しかし歴
史的には、EACCはその2年前、1957年に、インドネシアで
設立準備総会を開いており、現在はEACCの誕生の時を1957
年と定めています。EACCの設立は、戦後、アジアの国々が植民
地からの解放を経験する中、アジアのキリスト者が初めて一堂に会
する、歴史的な出来事でした。日本の教会もそうですが、アジアの
教会はその誕生の時から、欧米の教会とは深い関係にありましたが、
アジアの教会同士は交流がなかったのです。開催地となったプラパ
トは、インドネシア語の方言であるバタック語で「共に集う」を意
味し、CCA設立の性格と意義をよく現していました。今から、50
年前、インドネシアのプラパトにアジアのキリスト者が共に集い、
自らが属する共通の場を見い出し、その場を基点にして、お互いの
信仰と証しを分かち合うことが確認されたのでした。
この50年前の総会で、アジアの教会が初めて、「共に集い」、出
会うということを歴史的に象徴する出来事がありました。それは、
総会中、これからこの新しいEACCという組織を維持してゆくために、
財政的にアジアのNCCと教会がどのくらい負担すべきかという予
算審議中、近隣のバタック教会より牛、一頭が総会会場に持ち込ま
れ、EACCに寄贈されたということです。EACCの財政がアジ
アの教会によって支えられねばならないこと、またアジアの教会が
自らの持ち物を共に分かち合うことを、象徴する出来事として、現
在も語り継がれています。
聖書の様々な物語を読むときに、時々私は「ドキリ」とさせられ
る言葉に出会うことがあります。今日の聖書の箇所の「主がお入り
用なのです」というイエスが命じた言葉もその一つです。アジアの
多くの社会は、自分と他人を遮断しない、心の境界線がそれほどな
い社会です。また、牛一頭を総会に持ち込んで、分かち合うことの
大切さを、いつも日常の中で経験できる社会です。このような社会
であれば、イエスのこの「主がお入り用なのです」という言葉に自
然に従える様な気がします。しかし、日本の様に高度に経済が発展
し、個人の私有財産や所有権が確立したところでは、いくら「主が
お入り用」でもそう簡単に自分のものを渡すわけにはいかないとい
う気持ちがまず、頭に浮かんでしまうわけです。
ご存知のように、使徒言行録の始めの所を読んでいきますと、初
代教会のクリスチャンたちが「誰一人、その持ちものを自分のもの
だと主張することなく、いっさいのものをわかちあっていた」こと
が伝えられています。初代教会の人たちは、自分の持っているパン
を礼拝の前にさき、共にそれをわかちあってから礼拝をしていたこ
とが書かれています。
今日の聖書の中に書かれている、「主がお入り用」とするロバは、
まさにイエスが私たちと共にいてくださる同伴者であることを、象
徴しているような気がします。また、それと同時に、私たちが心の
境界線を取り除き、アジアの人々と互いに「わかちあい」ながら生
きていく、その方向性を示唆するシンボルのような気がします。
「主がお入り用なのです。」という主の呼びかけに、アジアの教会
を覚えながら、応答できる者でありたいと思います。
(2007/05/13 山本俊正牧師)
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