2006年11月19日

『網を降ろし、漁をしなさい

主たる聖書テキスト: ルカによる福音書 5章1〜11節


 ペトロは一晩中漁をして、陸に上がり、仲間と網の片づけをして
いました。その日は不漁でした。うまくいかなかったときは、肉体
的にも精神的にもひどく疲れを感じます。しかしそんなとき、ペト
ロはイエス様から船に乗せてほしいと声をかけられます。イエス様
は、ペトロの船に乗り、岸にいる群集に向かって話し始められまし
た。そしてお話が終わると、今度はペトロにこう言われたのです。
「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい。」普通、昼間に漁は
しません。しかもペトロは昨夜、一晩中漁をしていたのです。ペト
ロは答えます。「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何
も取れませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみま
しょう」。

 漁師であるペトロは、漁を通してイエス様と出会いました。イエ
ス様との出会いの場は、わたしたちの日常生活の中にあります。イ
エス様がわたしたちの日常の中に来てくださり、その只中において
御力を働かせて下さるのです。

 「わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何も取れませんでした。」
ペトロのように、わたしたちもいろいろと苦労し、失敗や挫折を繰
り返しています。そしてしばしば、「できるだけのことはしたのだ」
と自分自身や周囲を納得させ、諦めようとします。ペトロにもその
ような思いがあったかもしれません。しかしこのとき彼は続けて、
「しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」と言いまし
た。そして網を降ろしてみたのです。自分ではだめだと思っている
し、自分自身にはうまくいく確信などありません。しかし、イエス
様のお言葉に従ってやってみましょう、そういう一歩を踏み出した
のです。

 この一歩は、ペトロにとってごく単純な一歩でした。いつものよ
うに網を降ろせばよいからです。いつものことをもう一回やってみ
る。実に単純な話ですが、案外わたしたちはなかなかこの一歩を踏
み出せずにいます。しかしイエス様は、わたしたちの日常の中で語
りかけます。「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい」。それ
は、わたしたちが日常の中で繰り返し行なっていることであり、自
分では知り尽くしていると思っている事柄です。しかし、あえて踏
み込むその一歩にこそ、イエス様の力が働きます。そこにこそ神様
の御業があります。わたしたちの諦めのその先に、神様の力の領域
があるのです。

 ペトロがイエス様の言葉に従って網を降ろすと、二そうの舟が沈
みそうになるほどの大漁となりました。ペトロはここに人間の力を
超えた神様の力を見ます。ペトロは自分に神様の力が働いているこ
とに気づいたのです。神様の御業を知るとき、そこには実感があり
ます。ペトロは魚がいっぱいかかった網を引き上げるとき、その重
みを実感しました。それはペトロに与えられた神様の恵みの重さで
す。ペトロは、大漁を通して神様の恵みを実感し、神様に出会った
のです。神様に出会うことは、神様がどのような方であるかを知る
とともに、自分の本当の姿を知らされることでもあります。ペトロ
は自分が神様にふさわしくない者であることを痛感し、恐れおのの
きます。だから彼は「主よ、わたしから離れてください。わたしは
罪深い者なのです。」と叫びました。

 しかし、イエス様は言われました。「恐れることはない。今から
後、あなたは人間をとる漁師になる。」それは、漁師として生きて
きたペトロには思いもよらない道でした。しかし彼は、イエス様の
言葉に従って網を降ろすことで、自分の自信や確信のその先に神様
の力が働くこと、そしてそこに思わぬ恵みがあることを実感しまし
た。だから、すべてを捨てて、イエス様の弟子になったのです。イ
エス様は、このわたしたちに対しても、同様に声をかけておられま
す。「沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい。」わたしたちの
毎日の生活の中で、イエスさまは語りかけておられるのです。神さ
まの御業は、わたしたちひとりひとりの日常の中で、仕事において、
家庭において、さまざまな人たちとの交わりにおいて、そしてわた
したち自身が最もよく知っている事柄において表われ出るからです。

(2006/11/19 久保島理恵牧師)

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