2006年10月29日

『創造者なる神の恵み

主たる聖書テキスト: 使徒言行録 14章8〜17節


 人の人生は空しく、救いはないのでしょうか。私たちの目でして
は見えないかもしれません。コヘレトの場合は、その存在をほのめ
かすに止まっていたかもしれません。が、この世界には、創造主に
して、いのちの与え主なる神がいらっしゃる、というのが、聖書の
メッセージなのであります。この神は、人間が自らのために、自分
の快楽を満たすために、神ならぬ者を神として仕立て上げたもので
はありません。世界万物が存在する前からいまし、世界の始まりの
スイッチを押し、すべてのものにいのちを与え、ゼウスやヘルメス
をも造った、そういう神なのでするその造り主なる神が、何と、イ
スラエルという取るに足らぬ少数民族を選び分かち、憐れみをたれ、
しかも、その憐れみにもかかわらず背いた民をも見捨てずに、憐れ
みを垂れつづけた、というのが、旧約聖書に見られる、神の、イス
ラエルに対する救いの歴史なのです。それでは、他の民族はどうし
たのかと言えば、「神は、過ぎ去った時代には、すべての国の人が
思い思いの道を行くままにしておかれました。」(16節)すなわち、
神はすべてのものの造り主でいらっしゃいますから、他の民族も神
の子どもであることに微塵の相違もなかったので、実はハラハラド
キドキしながら見守っておられたのです。しかし、時が来なかった。
しかしながらそのときがやってきました。イスラエルのあまりの悪
を見かねた神が、ついに御子イエス・キリストをこの世にお遣わし
になり、そしてそのイエス・キリストをもイスラエルは否定するに
至り、ここにイエス・キリストの十字架の死は、イスラエルの選び
を超えて、すべての人のための罪の贖いの死として、すべての人に
対する選び、教会の形成、設立として実ったのです。もはや、ユダ
ヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女も
ありません。(ガラテヤ3:28)イスラエルに注がれていた神の選びの
愛が、教会を通して、すべての人々、今まで選びからもれていたと
思われていた人、思い込んでいた人々にもふりそそがれたのです。

 パウロとバルナバは、特にパウロは、もともとユダヤ人の選びだ
けを信じる人でした。が、復活のイエス・キリストに出会って、神
の選びの愛が、教会を通してすべての人に開かれていることを知りま
した。この教会の恵みを、実際に異邦人に告げ知らせるべく、第一
伝道旅行に出発したのです。(使徒言行録13章以下)そして、キプロ
ス、ピシディア州アンティオキア、イコニオンと、この神のよき音
ずれを告げ知らせ、教会を形成したのです。

 リストラに入って、最初に見出したのが、生まれつき足が悪く、
まだ一度も歩いたことのない、そういう不幸を負った人でした。こ
の人は、足が悪いという不自由さを負っていたというばかりではあ
りません。救いをあきらめた上に、不幸をもあきらめねばならなか
ったのです。パウロはこの人に癒されるにふさわしい「信仰を認め」
(9節)ました。救いに飢えていたということなのです。そして、「自
分の足でまっすぐに歩きなさい。」と大声で声を掛けたのです。こ
の時、神の力がパウロを通して働き、この人の上に、不幸の解消に
止まらない、神に選ばれた者としての恵みが、その飢えた心にふり
そそがれたのです。神は、創造者なる神は、すべてが空しく、ただ
死を待つのみ、そして、死んだらすべてが終わり、という状態を放
置しておかれるのではないのです。特に、異邦人を、異邦人の中で
も、不幸という厳しい状況を負った人を癒されることを通して、教
会を通しての神の選びの愛を、示してくださったのです。

 この物語の興味深いところは、このような、創造主なる神の驚く
べき恵みの出来事に接しながら、癒されたその本人以外の人々が、
相変わらず、悪い意味での異邦人性を抜け出せなかったというとこ
ろにあります。パウロを通して神がなした救いのみ業を、ご利益と
捉え、パウロやバルナバをゼウスやヘルメスとして祭ろうとしたの
です。パウロとバルナバは、この愚かな行いを必死になって止めま
した。一つには、自らが神として崇められてしまうことを畏れたの
ですが、もう一つには、自分の利益のために、神ならぬものを神と
する、まちがった礼拝を否定することによって、まことの神への礼
拝のあり方を示したのです。私たちに求められているのは、利益供
与に対するお礼ではなく、まことの神を畏れる悔い改めなのです。
選びの愛を受けた私たちは、主に、まことの礼拝をもって応えたい
ものです。

(2006/10/29 三宅宣幸牧師)

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