2006年09月17日

『神は人を創造された

主たる聖書テキスト: 創世記 2章15〜25節


 今回の元住吉教会との交換講壇の機会が与えられましたことを感
謝いたします。また、日ごろの主にあるよいお交わりにも、深く感
謝いたします。川崎における開拓伝道も、八年目を迎えました。開
拓伝道の困難もありますが、皆様の祈りに支えられています。しか
し、困難のあるところには主の恵みも豊かであることを日々教えら
れています。その一つに、祈りがあります。伝道はまさに主の業で
すから、祈り以外にありません。また、多くの方との出会いも与え
られています。元住吉教会の皆様との出会いも、主の恵みと信じて
います。私は結婚式の司式というサイドビジネスをしていますが、
毎回結婚という事の不思議さを知らされます。聖書においても神の
奥義を結婚にたとえています。アダムとエバもその一つの例です。
主からの祝福を受けてのスタートでしたが、残念なことに罪が入り
込み、楽園を追放されます。しかし主は御子による救いの約束を与
えて下さいました。私達も今日その恵みに預かっています。この恵
みを毎日味わいながら、信仰生活を送りたいと願います。

 さて、神は人を創造されたと聖書は語ります。
私は神によって創造されたと日々自覚をして生きることは、神への
深い信頼が生まれ、命の大切さを知り、隣人への愛と奉仕の思いも
起こされるものです。

 人の幸せとは何でしょうか。これがある、あれがあるというもの
でなく、主イエスとの出会いがあり、永遠の命があることこそ、誠
の幸せではないでしょうか。キリストに代わるものはないのです。
主の愛は私達を永遠に変わることの無い紙の愛の支配の中に生かし
て下さるものです。これは、生きる目標を失いがちな私達、現代人
への重要なメッセージです。

 イエスキリストの十字架は、2000年前の出来事ですが、これ
はあくまでも人間が歴史という中で刻んできた時間のことです。決
して過去のものではないということです。神のご支配は時間を超越
しているものです。イエスキリストの十字架の出来事は、今私のた
めになされた神の愛の業なのです。悔い改めて信じるものは、罪を
赦され救われます。そして、神の豊かな恵みは今、あなたと共にあ
ります。驚くべき神の恵みと祝福は、信じる者の内に働いています。
そして、この事を神はもっとあなたに知ってほしいと願っておられ
ます。信仰生活とは、毎日神の恵みを体験していくことです。神の
愛を知り、信じて従って参りましょう。

(2006/09/17 村田信一牧師)


※このページに関するご意見・ご質問は三宅牧師までお寄せ下さい。miyake@aksnet.ne.jp


(C)2001-2006 MIYAKE, Nobuyuki & Motosumiyoshi Church All rights reserved.