2006年08月27日

『神と共に歩む

主たる聖書テキスト: エフェソの信徒への手紙 4章17〜32節


 本日は、使徒書テキストとして、エフェソ4:17〜32を与えられま
した。そこには、異邦人の創造主なる神を知らない時代に犯した罪
と、そして、異邦人信徒がそこから離れるべきことが記されていま
す。今日は、まず「異邦人の罪」について考えてまいりたいと思い
ます。異邦人の罪、また罪に至る悪とは何でしょうか。それは、
「怒り」(26節)、「盗み」(28節)、「悪い言葉」(29節)、「無慈悲」
「憤り」「わめき」「そしり」(31節)などであります。しかし、こ
れらは異邦人に限らず、誰でもが身に覚えのあることではないでし
ょうか。たとえば、怒ったことのない人がいるでしょうか。クリス
チャンであっても、これらのことは例外なく身に覚えがあるはずで
す。牧師とて同じです。しかし、この誰でもが持っているはずの悪
が、エフェソの信徒への手紙ではなぜ「異邦人の悪」と言われるの
でしょうか。それは、誰でもが犯すこれらの悪に対して、異邦人は、
どう対処してよいかわからず、悪の悪循環におちいってしまうから
です。

 どうして異邦人はそうなってしまうのでしょうか。それは「無知」
(18節)、創造主なる神を知らない無知から来るのです。異邦人は、
自分が生まれてきたのは偶然だと思っています。ゆえに、自分の利
益だけを求めます。その日、その日の刹那に走ります。自分にしか
基準がありませんから、今行っていることが、いいことなのか、悪
いことなのかわかりません。たとえ、悪いと思ったとしても、自分
にとって都合悪い、と思っただけですから、状況が変われば、同じ
悪を何べんでも繰り返します。こうして、いつまでたっても悪から
抜け出せません。そもそも自分が悪いという自覚がないのです。そ
ういう意味で、私たちは、民族的に見て異邦人であるかどうかが問
題なのではなく、私たちのうちにそういう意味での異邦人性がある
かどうか、が問題なのではないでしょうか。

 さて、それでは、このような悪い意味での異邦人性をそのままに
しておくとどうなるのでしょうか。異邦人は、イスラエルの民のよ
うに、神と契約を結んだわけではありませんので、契約違反として、
神の呪いが待っているわけではありません。が、創造主を知らず、
また知ろうともせずに歩んでいるということは、自分自身の拠って
立つべきところも知らずに歩んでいるということであり、その上、
創造主の御心にかなわない悪事を平気で行っているとすれば、待っ
ているのは「滅び」(22節)です。しかし、異邦人は、イスラエルの
民ではないのだから、創造主を知らずに滅びに至っても、それは仕
方のないことではないか、という考えもあるかもしれません。しか
し、神はそうお考えにはならない。異邦人といえども、神がお造り
になられたかけがえのない子の一人に変わりはありません。そこで、
神は、キリストをとりわけ異邦人の救いのためにお遣わしくださっ
たのです。イスラエルの悔いのためだけでしたら、キリストは死な
れる必要はなかったかもしれません。しかし、悔いないイスラエル
のために、そして、これまで犯しつづけてこられた異邦人の罪のた
めに、キリストは贖いの死を遂げられたのです。この大きな犠牲に
よって、異邦人と言えども神の愛の対象となったのです。そればか
りではありません。イスラエル人に、ずっと愛しつづける保証とし
て、契約を与えてくださったように、異邦人には、洗礼の恵みを与
えてくださったのです。「あなたがたは行って、すべての民をわた
しの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、
あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。」
(マタイ28:19〜20)と主イエスが言われたとおりです。洗礼は、契約
と同じ効果があるのです。洗礼を受け、神の愛に応えて、神と共に
歩もうと決心するとき、異邦人であっても、神はずっと愛しつづけ
ることを約束してくださるのです。神の恵みを受け入れて、洗礼の
恵みに与りましょう。この奨めは、すべての人に投げかけられてい
るのです。

 この洗礼の恵みに与った者は、特に元異邦人はどのように生きる
べきでしょうか。まず第一に元異邦人の場合には、神を知らなかっ
たときの生活を捨てることが必要です。これが十分でないと、新し
い愛を受け入れられません。そして、空っぽになったところで、本
当の「神を第一とする」生活が始まるのです。心からなる礼拝をさ
さげ、神に満たされて、それを分かつのです。いただいて分かつ、
神と共にある歩みを歩みましょう。

(2006/08/27 三宅宣幸牧師)

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