2006年08月20日

『主にある家族

主たる聖書テキスト: エフェソの信徒への手紙 5章21〜6章4節


 本日は使徒書テキストとしてエフェソの信徒への手紙を与えられ
ました。そこで、エフェソの信徒への手紙全体を見ながら、今日の
テキストに触れてまいりたいと思います。エフェソの信徒への手紙
は、使徒パウロがエフェソの教会の信徒に宛てて記したものとされ
ているのですが、とりわけ、異邦人(ユダヤ人以外)の信徒の信仰の
養いのために記されたものです。そして、そのエフェソの信徒への
手紙の宛先とされている異邦人の信徒、クリスチャンは、「イスラ
エルの民は確かに神に愛されたかもしれない。しかし、イスラエル
の民でない私たちは、本当に神に愛されているのだろうか。」とい
う疑問を抱いたのです。そこで、エフェソの信徒への手紙の核心部
分は2章なのですが、エフェソ2章は、この疑問に答えようとしたも
のなのです。2:1は「あなたがたは以前は」という書き出しで語り始
めていますから、ここで記されているのは、異邦人クリスチャンの、
キリスト教に触れる以前の姿です。「この世を支配する者、かの空
中に勢力を持つ者、すなわち、不従順な者たちの内に今も働く霊に
従い、」(2節)と言われているごとく、異邦人クリスチャンは、かつ
てはキリスト教やユダヤ教以外の宗教に惹かれていたのです。そし
て、手紙はさらに、そのような異邦人の状態を、「自分の過ちと罪
のために死んでいた」(1節)とか、「神の怒りを受けるべき者」(3節)
と断じています。しかし、彼らは、ユダヤ人やイスラエル人ではな
いのですから、他の宗教に惹かれるのも仕方のないこと、そして、
それを「罪」とか、あるいは「神の怒りの対象」と言われる筋合い
はないのではないでしょうか。イスラエルの人々のように、一旦神
の恵みをいただきながら、神を忘れ、別の神に走るならば、それは、
明らかに罪であり、神の怒りを買って当然です。しかし、異邦人は
そもそも神の恵みを知らないはずなのですから…。愛があって初め
て、裏切りがあり、怒りがあるのではないでしょうか。

 確かに、異邦人に対しては、イスラエルの民のように、アブラハ
ムに対する約束も、出エジプトの恵みもありませんでした。が、そ
れでは異邦人には「神の恵み」はなかったか、というと、そうでは
ありません。天地創造があるのです。2:10にあるように「なぜなら、
わたしたちは神に造られたものであり、しかも、神が前もって準備
してくださった善い業のために、キリスト・イエスにおいて造られ
たからです。」たとえ、「イスラエルのように」ではなくとも、天
地創造の恵みをいただいているのです。創世記1:27にあるように、
「人をご自分(神)にかたどって創造され、地に満ちよ。むと祝福さ
れた」その愛に基づいて、異邦人も生きるものとされたのです。だ
とすると、その創造主なる神を覚えず、別の神に惹かれるというこ
とは、たとえ気づかずになしたとしても、神に対する罪、神の怒り
を買う仕草なのではないでしょうか。

 まことの神に従っていないのですから、事がうまくいくわけがあ
りません。その日、その日の刹那に生きるにしても、それはその場
限りのものです。本当の自分の姿を知ってうめいたときに、神はど
うなさったでしょうか。あなたはイスラエルの民でないから愛の対
象外だ、とおっしゃったでしょうか。そうではないのです。イスラ
エルの民の苦境に、助け手として士師を送ったように、神は、助け
主としてイエス・キリストを送ってくださったのです。しかも、イ
エス・キリストをユダヤ人の一人として生まれさせ、ユダヤ人に救
いをもたらすと共に、キリストがユダヤ人から打ち棄てられるとい
う出来事を通して、この救いをユダヤ人以外の異邦人にも、いや異
邦人こそ救いの対象として、贖いの愛の手を差し伸べてくださった
のです。ここに、イスラエル人(ユダヤ人)と異邦人との「隔ての壁」
(14節)が取り壊され、神の家族が成立したのです。神の家族とは何
でしょうか。それは、キリストを頭とし、一つとなった教会です。
私たちは、イエス・キリストの贖いの恵みによって神の家族の一員
とされた者なのです。

 だとしたら、その恵みをいただいた私たちは「神を第一とする」
歩みを、身近な、とりわけ家族の中で実行すべきです。特に夫婦は、
神(キリスト)に倣い、共に仕えあうことを実践する場です。夫婦の
あり方が時代によって変わっても、共にキリストに贖われた者とし
て仕えあうべきことに変わりはありません。あらゆる場面で、キリ
ストに倣う者としての生き方を心がけていきたいものです。

(2006/08/20 三宅宣幸牧師)

※このページに関するご意見・ご質問は三宅牧師までお寄せ下さい。miyake@aksnet.ne.jp


(C)2001-2006 MIYAKE, Nobuyuki & Motosumiyoshi Church All rights reserved.