2006年02月19日

『知恵の理解

主たる聖書テキスト: コリントの信徒への手紙一 2章6〜10節


 本日は、使徒書テキストとしてコリントの信徒への手紙一2章6〜
10節を与えられました。コリントの教会とは、どのような教会だっ
たのでしょうか。もしもエレミヤの時代のユダヤと比較してみるな
らば、できたばかりの教会でありながら、悔い改めと宗教改革を必
要としている、そういう教会だったのです。なぜでしょうか。この
教会はそもそもパウロの伝道活動によってつくられました。A.D.50
年ごろ、パウロは、第二伝道旅行の時、この町に一年半に亘って滞
在し、自分の生計を立てながら、伝道・牧会に励んだのです。いろ
いろな立場の人が集うよい教会が形成されたようです。ところが、
パウロが去って、アポロが替わって伝道・牧会を担うようになって、
教会がおかしくなってまいりました。アポロはたまたまアレクサン
ドリア生まれで、知恵に長け、話がうまかったのです。これが、コ
リントの教会の人々、教会員の中のある層に、触媒のように、悪い
反応を引き起こしてしまったのです。もともとコリント教会の人々
は、特に上流階級の人々は、知恵好みでした。そして、アポロは知
恵を語りました。そこで、福音を、というよりは、それを語ったア
ポロを、アポロの知恵を慕う人々を多く出してしまったのです。キ
リストのことを語ってはいますが、「アポロ教」のようなものを作
り出してしまったのです。旧約の時代、他の神に惹かれ、真の神を
忘れてしまったようにであります。

 パウロは、この教会の現状を知って、預言者的使命感から、「知
恵の空しさ」を説いています。(1:18-2:5)十字架のことばは、そも
そも知恵の観点からすると、愚かなものなのです。パウロは、大変
ソフトに、「アポロ教」の人々をあからさまに非難することをせず、
一般論として、知恵によって神を求める愚かさを述べております。
ここに、パウロの優しさと、「悔い改めてほしい」という切なる思
いとを見ることができるのではないでしょうか。コリントの教会の、
特に「アポロ教」に流れていってしまった人々はどうだったでしょ
うか。それは、ヨシヤ王のようでは全くありませんでした。悔い改
めるどころか、パウロへの非難をますます強め、パウロを攻め立て
たのです。最初の頃の教会からして、このようなことが起こったと
いうことは、悲しいことですが、これが、やはり罪の世から完全に
は解き放たれない教会の現実です。

 しかし、悔い改めは、どのようにして起こるのか。私たちは、コ
リント教会を反面教師として見ていきましょう。パウロは、悔い改
めた人のことを、6節で「信仰に成熟した人」と呼んでいますが、信
仰に成熟した人になるにはどうしたらよいか。それは、まず第一に、
「主語が変わる」ということであります。私が知恵をもって神を探
求する、それではいつまでたっても、神のところへ到達しない、救
いに至らないのです。かのエレミヤも最初は自分の力、知恵に頼る
人でした。ですから、神の召命を受けた時、「わたしは若者にすぎ
ませんから。」と断ったのです。謙虚ではありますが、自分の力に
頼るから、できないということになるのです。しかし、神は「わた
しは、あなたの口にわたしの言葉を授ける。」と言われる。エレミ
ヤが語るのではなく、主が語る。主語が変わるのであります。これ
が、悔い改めです。しかし、いつまでも自分の知恵に頼るコリント
の人々には、悔い改め、救いは来ませんでした。

 第二に、悔い改めて神が主語になるためにはどうしたらよいか。
それは、自分を明け渡して、主を受け入れることであります。パウ
ロはそのことを、9節で、「主を知る」と言わずに「主を愛する」と
言っております。私たちが良く知っているように、人を愛するとは、
その人をすべて受け入れることです。神を愛してすべてを受け入れ
るとき、主は私たちの中にいて、主語となって働いてくださるので
す。コリントの人は、本心では、残念ながら知恵を愛していたので
あって、神を愛していたのではありませんでした。

 さて、それでは、信仰に成熟した人には、神はどのような賜物を
用意していてくださるのでしょうか。それは「神の知恵」でありま
す。「神の知恵」とは何か。それは、7節にあるように、「神秘とし
ての神の知恵」すなわち十字架であり、しかも、それは、世の始ま
る前から計画されていたというということ、すなわち、そこまでし
て私たちを愛していてくださる「神の愛」なのであります。私たち
も神を「愛する」者としての歩みを信仰をもって歩んで参りましょ
う。

(2006/02/19 三宅宣幸牧師)

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