『パウロの召命』
主たる聖書テキスト: 使徒言行録9章1〜20節
本日は、使徒言行録9章、サウロの回心の物語を使徒書のテキスト
として与えられました。この物語は、大変に有名な物語であります
が、本日は、このサウロのちのパウロが、クリスチャンにとりまし
ては、敵であったが神に用いられた人、すなわち、メソポタミアの
王にして主に用いられたキュロスのような存在であった、というこ
とに注目してまいりましょう。
サウロが回心する前のキリスト教会の状況はどうだったでしょう
か。主イエスが昇天されて心細さを覚えていた彼らに聖霊が降り、
彼らは力を得ました。しかしながら、教会は実際には、政治的、社
会的には無力だったのです。当時のユダヤの社会の中で立派な指導
者であった議会の議員から見ると、ペトロらの態度は立派ではあっ
ても、やはり「無学な普通の人」だったのです。十二使徒について
見てみましょう。筆頭弟子のペトロをはじめとして、その兄弟アン
デレ、そしてヤコブとヨハネ、皆ガリラヤ湖で漁をする漁師でした。
漁の仕方については詳しく知っていましたが、律法については、ほ
とんど知りません。他の弟子たちも同然です。彼らは、主イエスの
業に感動し、主イエスを慕う熱心は人一倍ありましたが、ユダヤ人
の指導者層に、主イエスの福音を律法の言葉で説得する力はなかっ
たのです。なぜなら、最初の教会に当時のユダヤ人の指導者層であ
ったファリサイ派からの改宗者は一人もいなかったからです。
それでは当時のファリサイ派は何をしていたかと言えば、主イエ
スの弟子たち、使徒たちに対して、この教え、すなわちキリスト教
は、神の御心に背くものだとして迫害の手を緩めなかったのです。
論争をするだけではありません。圧力をかけたり、非難します。さ
らにそこにも止まりませんで、神に背く者として捕え、殺しさえし
ていたのです。そして、サウロは、当代期ってのファリサイ派の学
者にして、迫害者の急先鋒でした。9:1以下に「さて、サウロはなお
も主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところへ
行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。それはこの道に従う
者を見つけ出したら、男女を問わず縛りあげ、エルサレムに連行す
るためであった。」とあるのは、キリスト教徒迫害が、ファリサイ
派を含むユダヤ人指導者層の方針であり、サウロが、そのファリサ
イ派の忠実な先兵であったことをよく表しているのです。使徒言行
録8:3には「サウロは家から家へと押し入って教会を荒らし、男女を
問わず引き出して牢に送っていた。」と記されていますけれども、
このサウロによって、どれだけ多くのクリスチャンが苦労したこと
でしょうか。また、捕えられた人の家族に、どれだけ大きな悲しみ
があったことでしょうか。クリスチャンにとって、サウロは「あの
人さえいなければ…」と思われる憎しみの対象だったのです。しか
し、それにつけても、キリスト教会のこの「現状」。主の信仰の熱
心に燃えてはいたとしても、人材不足。それゆえの社会的力のなさ。
そして迫害。このような中で一体どのような打開策が見出されるの
か。せっかく始まった主イエスの教会も一時の宗教運動として消え
去ってしまうのか、と思われたその時、主が、神が採られた何とも
大胆な手立て、そして人が、クリスチャンのうち誰一人思いも及ば
なかったであろう手立てが、あのファリサイ派にして、クリスチャ
ン迫害の急先鋒であるサウロを、主の宣教のための器として用いる
ということだったのです。
主は何と大胆にも直接サウロに声をかけられました。5節で「わた
しは、あなたが迫害しているイエスである。」と訳されている言葉
は、神が御自分を顕される時の表現です。神が、(主イエスの形をと
ってですが)サウロを直接に召し出された。召命とは、神が直接に人
を召しだすことなのです。しかし、この召命はあまりに劇的、しか
もはるかに人の思いを超えていましたがゆえに、常識的に生きてい
る人間には、大きな衝撃とならざるを得ませんでした。サウロは、
一旦目が閉じられ、三日間食べも飲みもできませんでした。彼も主
イエスに倣って、一旦自分の罪のために死ななければならなかった
のです。また、周囲のクリスチャンにとっても、このサウロの召命
がいかに衝撃的であったか、アナニヤが主からこのことを知らされ
ても、なかなか受け入れられなかったのです。しかし、この二人が
主の業を受け容れた時、そこに奇跡が起こり、世界宣教の基が築か
れたのであります。
(2006/01/15 三宅宣幸牧師)
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